フィリピン最終日、首都マニラにあったあるお話。
泊まっていたゲストハウスでたまたまツアーの募集があり、しかも無料(食費交通費のみ)だったので参加してきました。
詳細はいまいち分からなかったのですが、スラムに住む人々と関わりのあるツアーのようで、同室に宿泊していた日本人、なおさん、なおきさん、あと韓国人のLeeさんと一緒に参加することに。
集合して、説明はあったものの英語が聞き取れず、、、、
別の場所の宿泊客と思われる欧米人グループと合流し、とにかく向かうことに。
ジプニーを占領し、自己紹介などをしながら目的地へ。
現地でも説明があり、どうやらやはりスラム街、というか橋の下で暮らす難民の生活を見学するものでした。
あまり構えていなかっただけに(ツアー内容を理解しきれていなかったので)、かなり動揺しました。
こういった実態を目にすると言葉を失います。
部屋の中(部屋と言っていいのか分からないけど)では電気を使っているみたいで、扇風機とかも見受けられましたが、まともな家ではないのは確かです。当然学校も通えていない子ども達でした。
その後、別の場所へ移動します。
着いたのは広場で遊ぶ子ども達のいる場所。そこで一緒にバスケしたり、戯れたりしました。
もう一つ別の場所も案内してもらいました。
ツアー主催者が家のない子ども達の為に作った場所らしく、最初は5人だったのが、今では14人ほどの子ども達が住んでいるそうです。
増えるに従って増築し、今ではこの高さ。
その後はツアー参加者みんなでご飯を食べて解散という流れでした。
ただ、僕自身納得してない思いがあり、
なぜこの主催者たちはこういった活動をしているのか、どういった思いでこの活動を始めたのか。
そして主催者のリーダーと思われる人はフィリピン人。
いまいち腑に落ちないことが多かったんですが、
なかなか英語で聞き出せず、もどかしさを感じていました。
が、、、、
食事が終わった頃、最後に主催者が話を聞かせてくれました。
彼の話はこうです。(英語だったので全ての内容を聞き取れた訳ではないですが。)
昔、2人の観光客がスラムに住む子どもと出会ったそうです。
その観光客はその子どもが気になり、子どもの居る場所を何度も訪れました。
そして約1年が過ぎ、2人は故郷へ帰らなくてはなりませんでした。
しかし、帰ってからも手紙を交換することで連絡を取り続けました。
お金が無い子でも手紙を返信できるように5ドルを添えて。
そのやり取りが何度も続きましたが、徐々に返信が来なくなります。
子どもの親が、お金を手紙なんかに使うなと諭したからです。
それでも2人は送り続けます。お金が足りないんじゃないかと思い、5ドル、10ドル、30ドル、100ドル、500ドルとかなりの大金に増やしながら手紙を送り続けたそうです。
その子どもはそのお金で、今まで通えなかった学校に通うことができ、小学校、高校、大学と無事卒業することができました。
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ここまで話した後、彼は僕たちに質問をしました。
「この後、その子どもはどうなったと思う?」
彼は答えました。
「その子は今ここにいる。私がその子どもだった。これは私の話です。」
それを聞いてやっと納得しました。
なぜ、この主催者がこの活動をし、このような話をするのか。
彼は、今日僕らが見たあのスラム街で育ち、あのバスケットゴールのある広場で遊び、同じように育ってきたそうです。
また、彼はいつしか、2人にお礼を言いに会いに行くという夢を抱きます。
場所はアメリカ。簡単なことではなかったと思いますが、彼は無事夢を果たし、2人と再会しました。
彼がこういったツアーを開催するのは、自身がこの経験をし、周りの人とそれをシェアするため。
ツアー参加者にスラムの現状を知ってもらい、子ども達と遊び友情をシェアし、自分が経験した恩を形は違えど、スラムの子達に経験してもらう。
彼はもらった恩をまた別の人にあげることで恩を繋げていました。
僕にできたことは、子ども達にための寄付金をほんの少し出す程度だったけど、
この情報をシェアすることで、なにかに繋がればなぁと思います。
「True Manila」という団体です。
https://www.facebook.com/truemanila/timeline
「Friendship and Sharing Kindness」
僕ももらった恩はシェアしていこうと思います。
たまたま泊まった宿でたまたま参加したツアーでしたが、フィリピン最終日、いい経験をさせてもらいました。
とても良い経験をしたんだね。
私も参加したかったな・・・
とてもいい経験でした。
一度こういった場に一緒に行きたいですね。
セブンスピリットも一緒に行けなかったですし。
ぜひ今度意見交換しましょう^^