2017年4月13日〜 【イスラエル・パレスチナ】
ヒッチハイクを終え、無事イスタンブールの空港に着いた僕は、そのままの足で「イスラエル」に飛んできました。
イスラエル行きのチケットを取ってからというもの、実は訪れることをとてもとても楽しみにしていた国。
楽しみというと言い方が不謹慎かもしれませんが、とても興味深く学びのある国でした。
イスラエルと言えば、宗教の聖地エルサレムやパレスチナ難民の文字が頭に浮かんできましたが、実際の所なんにも知らなかった自分。
よくニュースとかにも取り上げられていた「パレスチナ問題」とは。
イスラエルに行くと決めてからは、その事について何度も調べ、そして実際に訪れてその土地に住む人のリアルな声を聞き、色々と考えるものがあったので、今回ブログに書き残しておこうと思います。
と同時に、ブログを読む方に少しでもこのイスラエルとパレスチナの抱える問題について関心を持ってもらえるきっかけに、この問題がどんなものなのか理解してもらえる場になればと思います。
※個人的な解釈や意見も含むと思うのであしからず。
そんなわけでちょっとシリアスな話。
今回は説明のみ。
パレスチナ問題とは何なのか???
そもそもパレスチナ問題とはなにか。
一言で言えば、『パレスチナという土地をめぐる、アラブ人(=パレスチナ人)とユダヤ人との争い』のことです。
この問題を知るためには、まずイスラエルという国の歴史を辿っていく必要があります。
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紀元前、今から約3000年もはるか昔の時代に、現在のパレスチナとイスラエルが存在する場所にはイスラエル王国というのがあって、ユダヤ人がこの地を治めていました。
ユダヤ人はこの地のことを「神に与えられた土地」と信じていました。
しかし、紀元70年ローマ帝国にユダヤ国家は滅ぼされ、ユダヤ人の多くはヨーロッパ各地に散り散りになります。
そしてこの地には新たにアラブ人が住み始めました。
各地に散らばったユダヤ人は行く先々で差別・迫害を受けることになります。
その期間はなんと2000年にも及びます。
中世のヨーロッパで、ユダヤ人は「イエスを十字架にかけた」といわれてキリスト教徒に差別・迫害され、
特に有名なもので、ホロコースト。
第二次世界大戦中ナチス・ドイツにより約600万人ものユダヤ人が殺された歴史があります。
ポーランドにあるアウシュヴィッツ強制収容所を訪れた時の事は未だに鮮明に覚えています。
ユダヤ人たちは「迫害を受けるのは自分たちの国を持っていないからだ」という考えを主張するようになり、自分たちの国を作ろうと考えるようになります。
しかし自分の土地を持っていないユダヤ人。
ここで、「祖先が暮らしていた土地(パレスチナ)に戻ろう!」という回帰運動(シオニズム)が起こります。
長い時を経ても、ユダヤ人はパレスチナの地のことを「神に与えられた土地」と信じていたのです。
そんな中、第一次世界大戦が始まります。
この時、パレスチナの土地を支配していたのはオスマン帝国(トルコ)でした。
オスマン帝国はイギリス・フランス・ロシアと対立しますが、この時イギリスがとんでもない約束をしてしまいます。
イギリスはお金持ちの※ユダヤ人にある提案を持ちかけます。
①「戦争の資金を援助してくれるなら、パレスチナにユダヤ人の国家を作るのに協力しますよ!」
(※迫害の歴史を歩んできたユダヤ人は、自分たちの土地もなく生きるために必死だったので、勤勉で優秀な人が多かった。そのため大成する人も多かった)
そして、パレスチナの地に住んでいるアラブ人にもこう持ちかけます。
②「イギリス軍に協力してくれて戦争に勝つことができたら、アラブ人の国家独立を協力しますよ!」
同盟国であったロシアとフランスには
③「戦争に勝ったら、手柄を山分けしよう!」
という約束を事前にしてました。
これはイギリスの「三枚舌外交」と呼ばれています。
イギリスは、ユダヤ人・アラブ人両方に独立国家を作るという約束をしてしまったんですね。
これが現在まで続くユダヤ人とアラブ人との関係がこじれている原因です。
これらの約束もあってか、イギリスはオスマン帝国に勝利しました。
しかし当然このイギリスの三枚舌外交のおかげで戦後は大混乱に。
ユダヤ人とアラブ人の間で「ここは自分達の土地だ!」という主張のもと争いが始まったわけです。
一応イギリスは、「ユダヤ人とアラブ人で仲良く土地を分けましょうよ!」と提案はしますが、両者ともに無視。
ちなみにパレスチナの土地は、日本の四国程度の大きさですごく狭い。
そこにユダヤ人がどんどん入ってくるため、アラブ人が怒り対立が深まっていくことになります。
手をつけられなくなったイギリスは、「もう、国連に任せよう!」ってことでまさかの国連に丸投げします。
そして、イギリスに丸投げされた国連が出した決断とは、、
やっぱり、イギリスと同じ「パレスチナ分割案」。
その内容は
● 57%の土地をユダヤ国家に
● 43%の土地をアラブ国家に
● 3つの宗教の聖地エルサレムは国連が管理する「国際管理地区」にする
というものでした。
決議に対して、特に納得がいかなかったのがアラブ人。
「つい今まで暮らしていた土地の半分以上をユダヤ人に奪われるなんてありえない!」
しかしアラブ人の怒りを無視し、国連分割案に沿って、ユダヤ人は「イスラエル国家」の独立を宣言してしまいます。1948年5月の出来事でした。
ですが、そんなのアラブ人が黙っているわけありません。
イスラエル建国の翌日には、アラブ連合軍(近隣のアラブ諸国であるエジプト・シリア・ヨルダン・レバノン・イラクのアラブ人たち)がイスラエルを攻撃。
「中東戦争」の火蓋が切って落とされます。
中東戦争は大きなもので4回ありましたが、度重なる戦争で優勢だったのはイスラエルで、
結果、中東戦争ではイスラエルが勝利。(なぜならアメリカがバックにいたから)
ユダヤ人にとっての待望の母国(イスラエル)が生まれた瞬間でした。
一方、戦争により、パレスチナに住んでいた多くのアラブ人が追い出されてしまいます。
この人たちは「パレスチナ難民」と呼ばれ、彼らはそう呼ばれている内に「自分たちの故郷はパレスチナだ」という自覚が生まれ、「パレスチナ人」という呼称ができました。
パレスチナ人という人種や民族がいるわけではないということですね。
その追いやられた先が現在のパレスチナ自治区。
パレスチナ自治区は2ヶ所に別れており、
中東戦争時、エジプトが攻め込んだのが「ガザ地区」、
ヨルダンが攻め込んだのが「ヨルダン西岸地区」
この2つの地区を総して「パレスチナ自治区」と呼んでおり、「パレスチナ人」が住んでいる場所です。
現在、国際社会において2012年から、パレスチナは国家として認められています。
パレスチナ自治区と称されていますが、イスラエルという国の中にパレスチナという地区があるのではなく、イスラエルという国、パレスチナという国がそれぞれ存在しているということになります。
しかし実際の所は、このパレスチナ自治区はイスラエルが管理しており、この自治区に住むパレスチナ人(アラブ人)は限定された生活圏の中で暮らしています。
2002年から巨大な「隔離壁(アパルトヘイト・ウォール)」建設が開始され、その壁によってパレスチナ人は閉じ込められた状態になり、自由にパレスチナ自治区から出ることができません。
常にイスラエルから監視されながら生活しています。
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イスラエルの建国にともなって始まった「パレスチナ問題」
いや、正確に言うなれば「イスラエル・パレスチナ問題」
『今までここに住んでいたんだ。土地を返せ!』と主張するアラブ人(パレスチナ人)と
『もともと神から授かった土地だ!2000年前までここはオレたちの土地だったんだ』と主張するユダヤ人(イスラエル人)
今に続くこの問題には、双方にそれぞれの意見があり未だに解決のめどがついていません。
そして、今回この土地を実際に訪れ、イスラエル人、パレスチナ人、両国の人たちと接し、それぞれの意見を聞く機会もあったので、それも含め旅記事を書いていこうと思います。
参考文献
・イスラエル・パレスチナ問題
・パレスチナ問題とは
・パレスチナ問題の経緯
・ヨルダン川西岸地区に関するQ&A
その他多数
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その前に、
今回のキーワードになる「ユダヤ」という言葉。
この辺についても少し調べてまとめてみたので、合わせて読んでもらえると,よりイスラエル・パレスチナという国のことが分かってくるかなと思います。
ユダヤ人・アラブ人ってどんな人??
上記の説明の主人公であるユダヤ人とアラブ人。
一口にユダヤ人・アラブ人というけれど、そもそもどんな人たちを指すのか?
その定義とは何なのか。
僕ら「日本人」や例えば「アメリカ人」「ドイツ人」という言い方はなにを意味するのかといえば、「その国の国籍を持っている人」を指します。
日本という国があって日本の国籍を持っているから「日本人」ですよね。
一方で「アラブ人」という言い方は、「民族」という考え方による呼び名になります。
たとえばアラブ人とはどのような人たちかというと、「アラビア語を母語として話す人たち」のことを指します。
なので、アラブ人といっても「アラブ」という国が実際に存在するわけではありません。
エジプト人、サウジアラビア人、ヨルダン人、皆んなアラブ人ということになりますが、同じ国の人びとではないということです。
じゃあ「ユダヤ人」は?
ユダヤという国があるわけではないし、イスラエルに住む人がユダヤ人ではあるけれど、イスラエル以外の国にもユダヤ人はたくさんいます。そしてユダヤ語という共通言語を話しているわけではありません。
※イスラエル人は「ヘブライ語」を話します。
簡単に言うと、ユダヤ人の母親から生まれた人と、ユダヤ教を信じている人。この人たちがユダヤ人ということになります。
ユダヤ教の法律によると、ユダヤ人の母親を持つ子どもは、ユダヤ教の信者であるかどうかに関わらず、誰でもユダヤ人とみなされるようです。
また逆に、ユダヤ人でない者がユダヤ教を信じるようになれば、その人はユダヤ人と呼ばれるようになります。
なので、世界各地にユダヤ人は存在していることになります。
ユダヤ教とは??
簡単にいえば、「この世界を創り出した唯一の神を信じ、その神のいうことを聞くと約束した人々を神が守ってくれる」という宗教です。
この宗教を信じる人々のことを、ユダヤ教徒、あるいはユダヤ人と呼びます。
ユダヤ教の経典である「旧約聖書」に登場する神ヤハウェは、人間に大して実に厳しく、他の神を信じる者を許さない一方、神を信じ、正しい行いをする者を守ってくれます。
その神がユダヤ人の指導者として選んだのがモーセで、彼はユダヤ人を率いてエジプトを脱出し、「カナンの地」へ戻るように命じられます。
「カナンの地」とは、現在のイスラエルがあるパレスチナ地方のことです。ここは神がユダヤ人の祖先アブラハムに対して「与える」と約束した土地(神に与えられた土地)で、ユダヤ人はここを自分たちのものと考えるようになります。
現在もなお続くイスラエルとパレスチナの争いにおける、イスラエル側の根拠がここにあります。
ユダヤ人はなぜ迫害の歴史を歩んできたのか??
上記で説明したように、現在イスラエルという国がある場所は、以前までパレスチナと呼ばれていました。
そこには2000年前までユダヤ人の王国がありましたが、ローマ帝国によって滅ぼされ、ユダヤ人の多くはヨーロッパ各地への移住を余儀なくされます。
ここからユダヤ人の苦難の歴史が始まりました。
ヨーロッパに多いキリスト教徒にとって、ユダヤ人は「イエスを十字架にかけた民族」と見なされ、
また、ユダヤ人はヨーロッパに移り住んでも、ユダヤ教の教えや規則を大事に守り続けようとしたため、キリスト教徒の反感を買うことになりました。
19世紀末になると、ユダヤ人の「祖国」を建設しようという運動が活発になってきます。
運動を推進した人々は、エルサレムの北東に位置するシオン山にちなんで、「シオニスト」と呼ばれ、この運動も「シオニズム」と呼ばれるようになります。
この運動が広まると、裕福なユダヤ人はアラブ人からパレスチナの土地を買い上げ、自分たちの家を建てるようになります。
ここに現在まで続く中東問題の種が植え付けられることになります。
ユダヤ人国家建設の動きをさらに推し進める原因となったのが、第二次世界大戦中のナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺(ホロコースト)でした。
かなり有名な話だと思いますが、ヨーロッパ全体では約600万人が強制収容所で次々に殺されました。
オランダで出版された『アンネの日記』は、ユダヤ人狩りを恐れ隠れて生活していたユダヤ人少女アンネ・フランクが書いた日記で、この日記が出版されたことにより、
さらに世界中の人々はユダヤ人に同情的になり、イスラエル建国を後押しする要因の一つになりました。
【参考文献】とてもお勧めの本です。
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