こんにちは。
長くなりますが、最後まで読んでもらえると嬉しいです。
ご存知の通り2年ほど、正確には旅と留学合わせて約1年と8ヶ月。
長い間日本を離れ、世界一周放浪の旅に出ていました。
そんな旅から帰ってきて早くも1ヶ月半。
長い長い年月を使った放浪旅もあっという間だったように、日本に帰ってきてからの時間も本当にあっという間に過ぎ去っていきます。
今回は、その旅を終えて・・みたいなことを書こうと思っています。
いや、当初は帰国後すぐ書こうと思っていたんですが、なかなか筆が進まず・・。
帰国後これをすぐ書くために旅の記事も無理やりリアルタイムまで持ってきて、最後に訪れた中国編もせっかく帰国までに書き終えたというのに。。。
しかし、そろそろフィリピン・セブ島でのインターン生活が始まるので、ここで書いとかないと一生書かんだろってことやし、やっと気分が乗ってきたので書くことにしました。
将来自分がこの記事を振り返った時、自分を見つめ直せるような記事が書けたらと思います。
最初に日本を飛び出したのは、2015年の7月6日。
準備もドタバタながら、僕は関空からフィリピンに向かったんだ。
前日までは意外なほどに感情に溺れることはなく、不安もドキドキも現実味も感じていなかったけど、
飛行機に乗った瞬間から、いよいよ始まるんだ・・!という現実を突きつけられ不安を覚えた記憶がある。
世界一周した目的
そもそも、なぜ世界一周しようと思ったのか?
そう聞かれるとまず思うのは
「世界中の国の事を知りたい」って思ったから。
初めて海外を訪れた時からもっともっと他の国を見てみたいと思うようになり、その気持ちは4年経っても消えていなかった。
どんな国なのか、その国の特徴、国民性、歴史、文化、宗教、問題点。
そういったその国のリアルを僕は知りたいと思った。
そしてまだまだ行けてない国や場所は多く、この目的を達成しきったとはとても言えない。
だからこの気持ちはこれからもずっと続いていくと思う。
もうひとつ言えるのは、「この旅を終えた後の自分が見たかった」から。
自分はこの旅を終えたらどんな人間になっているのか。
世界で感じるであろう価値観や刺激が自分にどう影響を及ぼすのか、その後の自分自身に楽しみを感じていたと思う。
これらの気持ちが僕の旅のスタイルや行動を決めたと思うし、旅を続ける理由になった。
世界のリアル
留学で訪れたフィリピンをスタートに、アジアの国々、日本の反対にある中南米、先進国が並ぶヨーロッパ、テロの起こる中東、未発展のアフリカ。
これらの地域を訪れた時に、良い意味でも悪い意味でもその”世界のリアル”を突きつけられた。
想像以上の現実に、自分の理解や感情が全く付いて来ない時も多かった。
これこそ僕が望んでいたことだ、、、なんて軽い言葉で終わらせれないリアルも多かった。
フィリピンで訪れたスラム街
自分の知っている世界とはまるで違う世界で生きている人がたくさんいました。
アジア、ヨーロッパ、アフリカ。世界中に存在する物乞いたち
とても写真を撮るなんて行為はできなかったけれど、
世界を旅する人が間違いなく一度は物乞いについて考えると思う。
イメージしていたものと全く違う世界が広がっていた事もたくさんあった
アフリカのイメージを覆す発展ぶり
実際にそこに訪れなければ、一生間違った決めつけをして生きていたのかもしれない。
”黒人”に抱いていたイメージ
肌の色が違うだけで中身はどこの国でも同じだった。
もちろん悪いヤツもいたけど、それはアジアでもヨーロッパでも同じこと。
純粋さを持っている人はたくさんいたし、仲良くなれた人もたくさんいた。
僕の持っていたイメージはただの偏見だったんだ。
テロが起きて皆が口を揃えて危ないと言うトルコ
釣りをするくらいのんびりした雰囲気が漂っていた。そこに住む人々の生活が普通に存在していた。
人々のイメージや先入観が、その土地の人を苦しめることもあるんだと知った。
地震が起きたことで観光客が激減したネパール
観光客を相手に商売する人や案内するガイドたちに仕事はなかった。
旅先で思いっきり楽しめばいいだけ。現地でお金を落とす事は経済を回すことに繋がった。
日本人が知らない日本のルーツが世界中に存在していた。
スリランカにいた日本人が知らなきゃいけない日本の大恩人
なぜ僕達は日本のことを教えられないんだろうか。日本の教育とは何だったんだろうか。
僕達が知らなきゃいけない日本の歴史を世界に出て初めて知った。
日本の真裏にある南米で生きている日系人の人たち
全く違う土地で、日本人の祖先を持ち日本語を話して暮らす人達がいることを僕は知らなかった。
世界中で認知されている日本の文化や日本食
これほどまで日本の文化や食が世界に影響を与えているなんて知らなかった。
今もなお伝統や風習を守り続けている民族がいることを知った。
衝撃を受けたエチオピアの少数民族巡り
この時代にこんな人たちが本当にいるんだ・・!
世界には、実際に足を運んで行くことで初めて知れる世界がたくさんありました。
実際に行かないと分からない”リアル”がそこにはありました。
行かないと知り得ない現実があり、そこに行かないと出てこない感情もたくさんあった。
僕達はもっともっと世界のことを知る必要があると思うんだ。
原体験にこそ価値がある
もちろん世界には素晴らしい景色も待っていた。
寒さと高山病で苦しんだ先に見た絶景
まるで絵を見ているかのようなグランドキャニオン
超ロマンチックに思える夜景にも出会った
乾季でさえウユニ塩湖は綺麗だった
自然の偉大さに圧倒されたイグアスの滝
砂漠のイメージを覆されたレンソイス
世界で1番見たかった建築は、世界で1番感動した
800kmの先に待っていた夕焼けは、今まで見たどんな夕焼けよりも綺麗だった。
とても地球上とは思えない景色もあった
インターネットで調べれば、プロのカメラマンが撮ったもっと綺麗な写真を見れるかもしれない。
でもそんなことにはなんの価値もないんだと思う。
苦労してそこに足を運んだからこそ味わえる感動があり、その景色を見るまでの過程があったからこそ自分にとっての絶景になる。
自分の足でその地へ行き、その土地の空気を肌で感じ、自分の目で見たものを信じ、自分の口で語れる。
その一つ一つの原体験が人生の礎になっていくのだと思う。
世界のモノゴトは、他人ゴトから自分ゴトに
僕は旅に出て、世界を見る目が少し変わったかもしれない。
さっき言った原体験があったからこそだ。
今まではどこか違う、自分とは関係ない世界で起きている事だと感じていた世界のモノゴト
世界の歴史、紛争、国際問題、難民、宗教
そこの土地へ行きその国の事を知ったり、その国の友達が出来たりなんてすれば、それは他人事ではなくなってくる。
パレスチナ難民はどうして生まれたか。この問題の原因は何なのか。
誰もが知る「ベルリンの壁」は、なぜ建設され、そして崩壊したのか?
旧ユーゴスラビアって聞いたことありますか?
この地域の解体により独立を目指す紛争が絶え間なく起きた。
アウシュビッツ強制収容所。
ユダヤ人虐殺の歴史はもうただの過去の話でしょうか。自分たちとは関係のない遠い国の話でしょうか。
日本はみんな”同じ”を求め、「違い」はイジメや差別に発展します。
同族意識、差別、排除。
悲しきかな、日本人の気質や風潮とすごく似てると思った。
その国へ行くと国の歴史や今起きている問題を知ることになり、興味を持つきっかけになった。
世界は日本だけで回っているんじゃない。
世界のモノゴトは、他人ゴトではなく自分ゴトに変わっていった。
友達の国の大統領が変わればどう思う?って聞くし、友達の国で地震や災害が起きれば大丈夫?って聞きます。
そんな世界のことを、一個人が心配したって考えたってどうにかできるもんじゃありません。
世界の大問題を考えたって、難民のことを想ったってどうしようもない現実もあります。
でも考えることに意味や意義があると思うし、
何も知らずに平和を願うのと、知った上で平和を願うのとは大きく違うと思うんだ。
世界には様々な宗教が存在していた
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、仏教、ヒンドゥー教、他にもシク教やジャイナ教なんていうその土地に根付く宗教も存在していた。
お祈りすることが仕事。ユダヤ教徒にとって宗教こそが人生の全てだった。
百数十年のも歳月をかけて、自分たちのお祈りの場を作り上げたキリスト教徒。
この人たちの原動力は宗教だった。
身体全体を使ってお祈りする五体投地。このお祈りを何千回と行うことが彼らの使命。
仏教にも色んな種類があるんだと知った。
1日10万食もの食事を無料で提供していたシク教徒たち。
困っている人は助ける。助けてもらったからお返しする。
こんな素敵な循環は宗教から始まっていた。
様々な宗教を見て、触れて、
「宗教とはなんぞや?」とめちゃめちゃ考えさせられた。
どの宗教が良いとか悪いとかなんてないけれど、自分にとっての生きる糧や幸せの基準や信じるものがあるのは強いと思う。
日本人にとって関心の薄い宗教。
宗教が人々を動かし、人を幸せにもするし争いも起こす。
でも宗教が原因で戦争が起きたりするんなら、いっそのことみんな無宗教であればいいのに・・
って思ったりもした。
旅を終えて実家に帰ってちょっとした時、物置部屋を漁ってたら学生時代に使った地理歴史の参考書が見つかったんだ。
なんとなくペラペラっと見てみたけど、
地理や国土はもちろんのこと、世界の歴史、世界の大問題やその国の問題、領土の取り合い、人口や言語、宗教、差別、経済状況。
驚くことにもうこれでもか!っていうくらい大事なことが凝縮されて載っていた。
たた当時の勉強した記憶は一切なかった。それくらい関心が薄かったんだと思う。
でも、世界を旅することで世界の関心事は全然違っていることに気がついた。
僕の頭の中の地図は「日本地図」から「世界地図」に変わっていったんだ。
世界には面白い文化もたくさんあった
世界の多くが資本主義の中、未だに社会主義の体制を保つキューバ。
だけど、資本主義経済が少しずつ入ってきていて、この国の10年20年後は全く別物になっていくんだろうか。
旅中に出来た韓国人の友達の家に遊びに行ったことがあった。
その子の家には冷蔵庫が2つあった。
キムチ専用の冷蔵庫だった。
それからというもの韓国人に出会うと、必ず聞いていたが皆んな口を揃えて同じ事を言う。
韓国というと確かにキムチのイメージが強いが、これには笑った。
インドに日本の常識は通用しない。
電車に乗る時も、チケットを買う時も、街を歩いている時も、日本ではありえない光景が多々あった。
それがその国では当たり前。
その国の文化を認めることが、旅を楽しむコツだったかもしれない。
面白くて貴重な体験もたくさんした
ヴィパッサナー瞑想では、10日間誰とも話さず目も合わさず読み書き娯楽一切無しで、ひたすら瞑想を続けた。
日常生活では絶対に作り出せない状況での瞑想は、自分を知る貴重な体験だった。
スペイン巡礼では、約800kmの道のりを1ヶ月かけて歩ききった。
西ヨーロッパと東ヨーロッパをヒッチハイクで縦断したりもした。
危険な目にも遭った。
インドでの昏睡強盗は、最大のトラブルだったと思う。
でも、だから出会えた人もいる。だからこそ得られたものもある。
これらの経験は僕にとってかけがえのない体験で、僕に多くのことを与えてくれた。
自分と向き合い自分を知る一つのきっかけにもなったし、自分の人生を考える時間だった。
多くの人に助けてもらって、嫌なこともたくさんあったけど人に感謝する日々だった。
世界一周を単なる遊びだと言う人もいると思う。
僕もバカやったり、お酒飲んで騒いだり、お祭りにも参加した。
それはそれはとても楽しくて、あの楽しさに戻りたいとさえ思う。
でもそれだけじゃなかった。
僕にとって世界一周は遊びではなかった。
学校では教えてくれない、学べないことがこの旅にはたくさんあった。この旅でしか得られないものが確かにあった。
僕にとって世界一周は学びの場だったんだ。
旅は常に自分との対話
ヴィパッサナー瞑想、スペイン巡礼、長距離バスの移動中、誰かと出会い話を聞く度に
この旅で自分は何を学べるのか?
これから自分はどう生きていきたいのか?
この旅の経験をどう活かしていくのか?
自分の存在意義は何なのか?
旅中はそんな自分との対話に夢中でした。
そんな旅を終える時に自分自身に問いました。
「世界を体験してきたからこそ僕にできることはなんだろうか・・」
帰国した瞬間から
「お前はこの旅で何を学んで、何を得てきたのか?」
「この経験を活かして世の中の為に何ができるのか?」
そう問われている気がしてプレッシャーに思ったりもします。
もちろんそんな事を直接言われてないし、僕が勝手に思っているだけで皆んなそんなに重く考えていないと思う。
でも、これだけの時間とお金を費やして、有望な会社を手放して
あー、楽しかった。だけで終わらしていいはずがない。
その自分との対話の中で、
心に引っ掛かっていたのは「英語」でした。
旅の始まりは”英語”からだった
思い返せば僕の旅の始まりはフィリピン留学からでした。
旅をより充実させたい、旅を楽しみたい、旅の不安を無くしたい、世界中で友達をたくさん作りたい。
そんな想いから、一度はドロップアウトした”英語”という存在にもう一度向き合うことにしました。
自分の甘さもあって3ヶ月の勉強では全然満足の行くレベルには辿り着けなかった。
それでも自分にとって最適な学校であったと思うし、心から行ってよかったと思えた。
その後の旅がきっと何十倍にもいい方向に変わったんだと思う。
その後の旅でも英語に触れる、英語について考える日々は度々訪れ、
もっと話せれたらもっともっと得られるものはあるのに、もっと多くの人と仲良くなれたはずなのに。
そう思っていたし、
同じ日本人旅行者にも、言葉の壁なんかで旅の質が下がるのはもったいない。学べることが減るのはもったいなさすぎる。
みんながもっと話せるようになってほしいな。
そう思っていました。
旅中、そんな感情を言葉に残すこともしましたが、結局口だけで終わっていた。
もう一度、どっぷりと英語に浸かる機会を作らないとダメだという結論に至り、
フィリピン留学にもう一度行くことにしました。
場所は世界一周前にお世話になった同じ学校。オーナーさんのご厚意もありインターン生として勉強できる環境をもらい、
英語だけでなく、仕事から学べることも多そうです。
何よりその学校に来る生徒さんやスタッフさんとの出会いが楽しみでもあります。
英語なんか必要ないと思っていた学生時代から一転、
「日本の英語教育を変えたい」
そう思うほどにもなりました。
僕がこうやって自由に海外を放浪できたのは、間違いなく”日本”という国に生まれてきたおかげだと思うし、
その恩返し的な意味で、今後日本の為に何かしていける人生にしたいと内心思っています。
その何かが僕にとっては「英語」なんじゃないかな。。と思ってきました。
結局大した事はできずに終わるかもしれない。
それでも自分の新たな夢というか、野望ができたので自分の道を進んでいこうと思う。
伝えたいこと
最後に、締めの言葉として僕から伝えたいことがあります。
一つは
「原体験」が自分の生き方や考え方を決める ということ。
これらの経験があったからこそ僕はこの内容の記事を書いているし、みんなにこうやって伝えたいことを言ってます。
これから僕が何を指針にして生きていくのか、自分の取り巻く環境にどう接していくのか。
その元になるのは、自分自身の”原体験”だけです。
人は経験の無いことは語れません。
その経験が人に知識と学びを与え、その人の考え方が形成されると思っています。
だから、自分の興味あることや面白そうなこと、これやってみたいという想いには素直に従って、どんどん手を出していけばいいと思う。
僕らはそういった恵まれた環境に生まれ、何でも挑戦できる自由を手にしている。
それを生かさないのはもったいないことでもあるし、何より恵まれなかった人たち、生まれた時からすでに人生に制限ができてしまっている人たちに失礼だと思う。
もうひとつは
自分の頭で考えて、自分で決める ということ。
この時代、インターネットやテレビから簡単に情報が得られます。メディアや情報源は至る所にあります。
だけど、一歩引いた目でそれを考えてほしい。
それは本当に正しい情報なのか?
その人の意見が全て正しいのか?自分だけに都合のいい主張なんじゃないのか?
人の言うことを何も考えずに鵜呑みにする、その思考停止こそがこの世の”悪”だと僕は思う。
そして、人から何を言われようが自分がこうしたい、こう生きたいという気持ちを大事にして、
自分の頭で考え続けることが何より大事。
得られる情報や知識には限界があるので、取捨選択する必要もあると思う。
人からもらう意見で自分の考えは変わっていくと思う。でもそれでいいと思う。
自分にとって何が大事で、何が必要なことなのか。
自分のことは自分で決める。じゃないと後で絶対に後悔するから。
あなただけの人生なのだから。
旅の動画
2年間の世界一周の旅を、2分30秒に凝縮して動画でまとめました。
ここでは紹介できなかった、旅で出会った仲間たちを中心に載せてます。
全然足りず載せきれなかった人も多いんですが、短めに作ったので是非見てやってください。
最後に
これだけ自由な旅をさせてくれて丈夫な体をくれた両親に感謝したいし、その資金を得られたのも前職の会社があったからでした。
本当に感謝です。
トラブルはたくさんありましたが、無事大病や大怪我も無く生きて帰ってこれました。
心配をかけたこともあり申し訳無さも感じていますが、無事旅を終えれました。
ありがとうございました。
この旅で出会った海外含む友人達にも。
皆がいたからこそ旅がとても楽しく充実した日々になったし、誰一人が欠けても僕の旅ではなくなっていたと思う。
出会ってくれて本当にありがとう!
世界一周の旅は終わりましたが、僕の人生はまだまだこれからです。
旅の余韻は2ヶ月弱ありましたが、またこれから海外生活が始まるので気を引き締めなおして行ってきます。
僕の新しい挑戦です。
皆さん、お互い頑張りましょう。
皆の頑張りを糧に僕も頑張りますが、だらけた僕がいたらぜひケツを叩いてやって下さい。
基本、怠け者なので。
どうぞこれからも宜しくお願いします。
そして本来なら最後に、日本ただいま!っていう言葉を述べるはずだったんですけど、
時は過ぎ、これからまた海外に出るので言葉を変えて、、、。
行ってきます!
伊藤 祐矢
2017年8月26日
Facebook:yuya.ito.963
Twitter:@sanktuali
Instagram:i_ya31
期間:2015年7月6日〜2017年7月6日
《《渡航ルート》》
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