歴史が創り出した文化。謎の未承認国家『北キプロス』はこんな場所でした

  
前回の続き。
 
 
次の日は早起きして、北キプロスの「ファマグスタ」と「ギルネ」に行ってきます。
今日もエジプト人の彼と一緒です。(名前忘れたごめんよ)
 
なぜ早起きしたかと言うと、バスの最終便が18:00だから。
早すぎるねーん。
まぁ言うて出発したの朝8時半とかやけど。
 

 
 
南キプロスで乗る全てのバスは北キプロスには行かないので、
まず、宿からニコシア中心地までバスで行き、歩いて国境を通って北キプロスへ入国し、そこからバス停まで歩き、バス乗車。
帰りはその逆パターンを済ませ、宿付近まで行くバスに18時までに乗らなければいけない。
ついでに国境付近でユーロをリラに、そして残ったリラをユーロに両替するイベント付き。
 
という面倒くさい、かつタイムリミット付きの国内(正確には国外だけど)観光なのです。
 

 
北のバス停からは1時間ほどの距離。
昨日は首都の中心地しか見れなかったので、地方の都市はどんなもんじゃい。
 

途中の景色。めっちゃ自然でした。
 
南キプロスはキリスト色が強いですが、北キプロスはイスラム色が強く、
モスクも見かけました。
 
 
そんなこんなであっという間に「ファマグスタ」
 

 
 
とても興味深かったのがこちらの「教会」

 
ではなくなんとモスクでしたこれ。

 
 
建物の造りは教会だけど、内装はモスク。
 
元々キプロスは、15世紀末までビザンツ帝国統治下でキリスト教勢力の基地として役割を持っており、宗教的にはカトリック教会だったところ、16世紀後半オスマン帝国占領下に変わり、元の建物を活かしつつ見事にモスクに改装。
現在もムスリムの人々が使用しているという、不思議な建物。
実は昨日歩き周ったニコシア(レフコシア)にも同じように教会型のモスクがありました。
 
 
昼にはこの教会からムスリムたちのお祈りが、
 
ああぁ〜あ〜あぁぁあ〜あぁ〜〜
 
と街全体に鳴り響き、とても不思議な光景。
まさに歴史が創り出した文化。
 
 
 
滞在も程々にして、次は「ギルネ」へ。
またバスで1時間です。
 

 
こちらは港町。
フランスのマルセイユもこんな感じで船が泊まってて、色々と思い出しました。良き思い出です。
 
 
天気もよく、ここで飲むビールはうまいだろうなぁとか思ったけど、一緒に来たエジプト人はかなり節約している感じで、どうせ一人で飲むことになりそうでそれは嫌なので遠慮。
昨日も今日も、昼ご飯で一緒にレストラン行くのに決して注文せず、宿に帰ってから自炊で済ますという徹底ぶり。
一緒に居る時くらい食べてほしいけどね〜、こっちもなんか気を使って美味しく食べれないし。
まあ人それぞれ懐事情は違うので仕方がないけども。。
 
 
 
思っていたよりとても小さい街で、1時間ほど歩き観光して終了。
バスでレフコシア(ニコシア)まで戻り、無事18時のバスに乗れました。
北キプロスはこんな感じでした!
 
 
あ〜、今日もたくさん歩いた。
 
(´д⊂)‥..疲れた..
 
 
次回もキプロス編続きまーす。
 
 

 
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