日本にとっての英語の存在と日本の英語教育について

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フィリピン留学を経て世界を旅する中で(まだアジアだけだけど)「英語」という言語の存在について色々思うことがあったので、書きなぐっていきます。
特に結論とかないけど、今思うことを書き残したいと思う。
書いてみたら長かったです。
 
 
 
「英語」は数ある他言語の中の一つでしかないです。英語を母国語とするのは、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、イギリスくらいで、あとの国は自国の言葉を持っています。国によったら十数もの言語を持っていたりして、英語は世界に存在する数百もの言語の内の一つでしかないです。
 
ただ、「世界の共通言語」であるのは確か。
英語が通じない国や地域はたくさんあるけれど、やっぱりコミュニケーションを取るために頼りになるのは英語。
世界中で教えられている第2言語はだいたい英語。
日本も中学・高校、人によったら大学も、今では小学校からかな? 数年間学びます。僕も一応学んできました。
でも全くしゃべれなかった。
 
そんな英語が全くできない状態でも、僕は数カ国旅に出た事があります。
初めての旅で感じたことは、
「英語なんかできなくても旅はできる」でした。
 
だけど、
日本人を見ると安心してたし、日本人のいる所や日本人宿を探したり、ガイドブックが命綱だったし。
海外で出会う外国人観光客とまともな会話ができず、悔しい思いばかりでした。悔しいっていうよりもったいないって感じかな。
世界一周前にフィリピン留学を選んだのもそんな理由からです。
 
 
 
アジア数カ国を周っていて、英語という存在について強く思う出来事が何回かありました。
事例挙げていきます。
 
 
・タイで一週間だけお邪魔させてもらった語学学校では、タイの学生たちと仲良くなりました。
彼ら彼女らは大学や高校に通う学生で(もちろん社会人もいたけれど)それと併行して語学学校に通っているようでした。
なんで大学行きながら英語も勉強してるの?って聞くと
「いい職に就けるから」って言います。割と漠然とした想いだとは思うけど、そんな子らが集まっていました。
日本でも意識の高い人や予備校など、同様なことをやっている人はいると思うけど、目的意識が違うような気がします。あんまり日本でそういう人と直接しゃべる機会がなかったので断定的には言えないけど。
日本は受験の為とか「いい職」というより「英語を使った職に興味がある」という感じ。
同じようだけど、僕の感覚ではちょっと違う。
英語=いい職、
英語=憧れ、かっこいい、海外の人と関わる
なんとなく感覚の差があると思う。
 
 
 
・マレーシアでも仲良くなったマレー人の友達がいます。
彼は英語が流暢でしたが、マレー語はあんまりって言います。マレー語は当然マレーシアの母国語です。
なのに、英語とマレー語どっちが得意?って聞くと、英語なんだそうです。
小さい頃から日常的に英語に触れていたからです。
シンガポールもそんな感じらしいです。高校大学レベルになると、数学や科学の授業が英語で説明、英語でしゃべって授業。
日本との圧倒的な教育の差。
シンガポール訪れた際は、是非その現場を見てみたい。
 
 
 
・インドのコルカタでのボランティア
マザーテレサの偉大さを感じましたが、多くの国の人が共感しその場所に集まっていました。
アメリカ、カナダ、ニュージーランド、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、アルゼンチン、韓国、中国、台湾。
やっぱりその状況でコミュニケーションを取るっていったら、英語です。
同国同士だったら自国の言葉でしゃべってますが、基本英語。
こんなに様々な国の人が集まっているのに、会話が無くなる事はなかった。
 
 
 
・インドのカジュラホを観光した時の話。
1人で歩いていて商店の前を通ると、インド人が
「おれの店見てって」「これからどこ行くの?」「150ルピーで連れてってあげる」って、流暢な日本語で話かけてきて、
返事すると「なんでー、見るだけでもいいよー!」「じゃあ100ルピーでどう?」
ってやっぱり流暢な日本語で返答してきて。
観光地だとそんなインド人が多くてイラっと感じながらも流暢に話してすげぇなーって思ってて。
 
今度は出会った韓国人の子たちとまた同じ場所を歩いてたら、また同じインド人がいて、
今度は韓国語で話してきたんですよね。
一緒に歩いていた韓国の子に話しかけたっぽいんですが、
こいつ母国語の他に何カ国語話せるんだ!?ってびっくりして、
で、聞いてみたら、
英語、日本語、韓国語、スペイン語、イタリア語、フランス語、中国語が話せるって言うんですよね。
もちろん全てが完璧に話せる訳ではないと思うけど、僕がこのインド人に対して感じた日本語の上達具合と同レベルまで他の言語も話せるんだろうなって。
商売を繁盛させる為に、お金をより得る為に数言語もの言葉を覚える。
インド人にとって他言語と職が強く結びついていることを感じました。
インド人と日本人との他言語に対する考え方の差。そして語学力の幅の差。
インドではまだ映画を見てませんが、字幕無し音声英語の映画でもインド人は爆笑しながら見る(見れる)らしいです。
僕はタイで見た映画は全く歯が立たなかったです。
 
 
 
・泊まる宿では、欧米諸国と同じくらい中国人や韓国人、台湾人に出会います。
彼ら彼女らは、英語に加え日本語が話せる人が多いです。むしろほとんどの人がそうでした。隣国というのが大きいのかもしれないけど、
母国語+英語+第3言語っていう幅で他言語に触れていました。
 
 
 
・ネパールで出会った日本人男性がいました。
彼は語学マニアで(自称してた)、小さい頃から英語や他言語に興味を持っていたらしいです。
英語は通訳や英訳ガイドなどの職についていたくらいのレベル。英語以外に、スペイン語フランス語中国語が話せる又は勉強中。
なぜその言語なのかって言ったら、その国へ行くと英語が通じないから。
南米だったらスペイン語しか通じない、とスペイン語に近い(らしい)フランス語も同時に。あと中国も英語は弱い、発音は難しいけど読み書きだったら日本人なら覚えやすい。
英語が通じにくい国の言語を今後ももっと手をつけてく予定らしいです。
 
反面、海外で出会う外国人が日本語を話せたりします。
なぜか?
日本へ行った時に英語が通じない、日本語が話せないと日本で生活できない、日本人と話すと英語が通じない。
といった理由が主です。
つまり日本語を勉強する外国人は(断言的には言えないが)「日本=英語が話せない国」と考えている。
たまにですが、僕のこんなクソみたいな英語でも、出会う外国人に「英語上手だね」って言われます。
その人たちの半分くらいは二言目に「日本に行ったら英語があまり通じなくて、、、日本人と話すと片言の英語しかしゃべれない人が多くて、、、」って言います。
もちろん英語が得意な人もいて、僕が旅中出会った半分くらいの日本人は英語が達者でした。
ただ、外国人にそんな印象を与えるくらいそういう日本人が多いのも事実だと思います。
英語が通じないからその国の言語を勉強する。される。
日本語を覚えてしゃべってくれるのはとても嬉しいけど、なんかちょっと悔しいって僕は思っています。
 
 
 
 
 
今回、英語以外の他言語についても触れたけど、
他国の人にとっての英語の存在、日本にとっての英語の存在。
なんでここまでの差があるのかって、
当然、日本人の英語に対する考え方が影響している訳で、その考え方って幼・小・中・高生の時に染み付いちゃっていることですよね。
日本人にとって英語の存在感が薄い。そういう教育を受けてきたから。そういう日本社会になっているから。
旅していると、他国に比べて日本の教育は英語に力を入れていないことがひしひしと伝わってきます。
なんでかって、みんなが言うように、『日本なら英語ができなくてもいい職に就ける、日本にいれば英語が話せなくても困ることが一切ない』
だから国そのものが英語を重用視してない。
だから、英語を話せない先生が英語の先生をしてても大丈夫だし、スピーキングとリスニングの英語教育がない。
今までそんなことに疑問を持ってこなかったけど、最近すごい思います。最近っていうかフィリピン留学あたりから。
 
ただ、僕がこんなことを言わずとも、すでに早い段階から英語に対して深く考え、そして対応している人が数多くいるんだろうけど、全体の割合でみたら圧倒的に少数派なんだろうなーって。
 
 
 
だから日本の英語教育を変えたいなぁーってすごい思う。
当然、じゃあどうやって?具体的になにを?って当たり前の話が出てきちゃうけど、口に出すだけなら自由なんで。
ほんの少し思ったこと。英語に対する向き合い方。
 
 
 
以上、
書いてみたら長くなってきたのでここまでにします。
結論もなにもないけど、最近こんなこと思ってます。
 
みんなは英語についてどう感じてんのかな〜。
ってことで意見下さーい。
 
 
 


人生に悩んでいる方

コーチングというものに出会い、コーチングを通して自分自身を大きく理解し、たくさんの経験や悩みや葛藤などを経て、ここにたどり着くまでの事を赤裸々に綴っています。

僕のこれまでの経験や考えてきたことを伝えられたら嬉しく思います。
少し長いですが、お楽しみいただけると嬉しいです。


2 件のコメント

  • 英語が日常的に必要なものになった今では、英語は手段であって目的ではないと純粋に感じられるようになりました。
    少し前までは全然違う感覚でしたが…笑

    ひとまず、圧倒的話者数を誇る共通の言語が必要だと真剣に考えた時に現れたのが英語だったという感覚です。
    (実際私はそこまで話せないけど)、話せて当然・話せるのが普通みたいな。

    でも実際に身を持って必要性を感じるまでは、心のどこかで英語は「憧れ」や「得意科目」の一部でしかありませんでした。

    だから、「必要に駆られるという経験」を与える機会が今の教育システムに取り入れられる必要があると思います~\( ^O^ )/
    生きていくのに必要だと思える、危機感の一種ですね。

    • 今の日本は平和ボケしてるからね、英語に対する危機感が全く無し。
      「必要に駆られるという経験」はまさにその通り!
      おれも「旅」という経験を通して英語の必要性を感じたから、これがなかったら一生英語話せず、一生日本で日本人とだけ絡んで終わってたと思う。
      日本人はその経験をしてないから必要性を感じない。その経験をしかも幼い頃から、必然的に経験するきっかけや場がない今の日本社会や教育システムが問題。
      英語=特別ではなく、英語=割と普通くらいのレベルにする
      どうにかしたいね。
      そしてナイスな意見ありがとう!

  • たんぼのかみさま へ返信するコメントをキャンセル