革命家チェ・ゲバラがかっこよすぎる件

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こんにちは。
突然ですが、皆さんは「チェ・ゲバラ」という人物をご存知だろうか。
名前や顔くらいは聞いたり見たりしたことがあるのでは?
 
 
 
高専時代、2個上の先輩がやたらと「チェ・ゲバラ、チェ・ゲバラ」とゲバラの顔が表紙になっている赤い本を持って叫んでいたことは未だに覚えています。
 
当時は面白い先輩だなとか思っていた程度だったけど、いざキューバへ行くことになってチェ・ゲバラの存在を認識して思う。
 
 
「チェ・ゲバラ、かっこよすぎるわ」
 
今ならあの先輩がなぜあんなにチェ・ゲバラの名前を連呼していたのか分かる。
 
 
 
今回はそんなゲバラ先輩について語ってみようと思う。
 
 

『チェ・ゲバラ』ってどんな人??

ゲバラ先輩の本名は「エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ(Ernesto Rafael Guevara de la Serna)」
1928年6月14日アルゼンチン生まれの医者であり政治家であり革命家。
 
医学の道を志すゲバラ先輩は、23歳の時友人アルベルトとオンボロバイクで南米大陸縦断の旅に出発する。
(『南米モーターサイクル・ダイアリーズ』という本と映画が有名。僕はキューバに行く前に本を日本で買って読んで行きました)
 
その際、貧富や差別などのさまざまな理不尽な事柄を見聞きし、マルクス主義(労働者が資本家から搾取されているとする、マルクスの社会思想を基とした共産主義のこと)に傾倒していくことに。
 
アメリカにより土地、電話、電力、鉄道すべての利権が支配され、マフィアの巣窟となっていた「キューバ」で反政府運動を行い、メキシコに亡命していたフィデル・カストロと出会ったゲバラ。
情熱的に巨悪と立ち向かうカストロの想いに感銘を受け、軍医として彼らに同行することを決意し、1956年12月キューバへの密航船に同乗。
82名の仲間と共に8人乗りのレジャーボートでキューバに密航しました。
 
キューバでは政府軍との戦闘の中でその忍耐強さと誠実さ、状況を分析する冷静な判断力、人の気持ちをつかむ才を遺憾なく発揮し、当初は軍医としての参加であったが次第に反乱軍のリーダーのひとりとして認められるようになっていきました。
 
1959年のキューバ革命のとき、革命軍のリーダーとなったフィデル・カストロのナンバー2として活躍し、革命を成就させました。
 
医者のゲバラは戦闘が終わると自軍だけでなく、負傷した敵兵にまで必ず治療を施したとの話もある。
こうした仁義話はキューバ全土にすぐに広まり、政府軍の中からもゲバラたちの仲間に加わる者が出るほどでした。
 
革命成功後、国立銀行総裁、工業相と要職に就き、政治家としての手腕も発揮する。
キューバだけに留まらず、1965年コンゴ民主共和国に渡り、コンゴ動乱後混乱が続く現地で革命の指導を試みたが、革命はうまくいかず失敗に終わる。
 
1966年、政治的に不安定だったボリビアを次の革命の拠点とさだめ、ゲリラとして少数の仲間とともにボリビアに渡航。しかし、1967年ボリビア山中でボリビア軍に捕らえられ、全身に弾を撃ち込まれて射殺された。
享年39歳。
 
 
 
 
 
とまあ、ざっくりと生い立ちから亡くなるまでの生涯を書いてみました。
 
アメリカから支配されていたキューバで革命を起こしてキューバに解放をもたらしたゲバラ先輩、かっこいいっす。
 
そんなゲバラ先輩はキューバの街の至る所で見ることができました。
 
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首都ハバナには「チェ・ゲバラ第1邸宅」があり、中に入ることができゲバラ先輩の当時の生活を垣間見ることができます。
僕が行った時は日曜で休みのはずでしたが、運良く見学することができました。
 
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キューバ紙幣(3CUP)にも印刷されるほど。
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髭面に葉巻、いつもベレー帽が特徴的なスタイルで顔的にもイケメン。女性にも大人気らしいです。
才色兼備とはこのことか。
 
ジョン・レノンも「あの頃、世界で一番かっこいいのがチェだった」と語っているようです。
ちなみにチェ・ゲバラは同じ革命家として坂本龍馬を大変尊敬していたとの話も。
 
 

なぜこんなにもカッコいいのか

チェ・ゲバラは生まれた時から喘息を伴い、それがきっかけで医者を目指すようになりましたが、
医者として病気の人々を救いたい、貧しい人々を救いたいという強い思いが、彼を最終的に革命家にさせたようです。
 
戦地でも日記をつけていたチェ・ゲバラは、日記の最後に「今日は××の誕生日」と、仲間の誕生日を書いていたそうです。戦時中でも常に仲間のことを気にかける優しい人でもあったそう。
 
チェ・ゲバラはキューバという国家の要職で様々な政策を行ったあと、一転その地位を捨て、新たな革命を起こすためにゲリラとしてボリビアへと向かった。
 
ゲバラ先輩はこんなことを言っています。
「最も重要なことは権力を握ることではなく、握った後に何をするかを明らかにすることだ」 
 
 
理想を求めて生き、虐げられた人々を想い、地位にすがる事無く、世の中の為に徹底した自己犠牲を貫いた男。
 
それが「チェ・ゲバラ」
 
 
 
 
 
かっけぇ、、、
ゲバラ先輩、マジでかっこいいっす。
坂本先輩も尊敬してますけど、ゲバラ先輩も憧れっす。
 
世の為人の為。革命家たちの生き様は眩しいくらいにかっこいい。
 
 
 
 

チェ・ゲバラが起こしたキューバ革命と社会主義

そんなチェ・ゲバラが起こした「キューバ革命」のおかげで、今のキューバには国民皆保険や高い教育制度が残っています。
医療ではがん治療から心臓移植までもが無料。予防医療を徹底しており、平均寿命は先進国並み。
大学や専門学校まで授業料を負担することなく通い、高い教育制度を受けることができる。
 
貧困、政府による搾取、不平等。
そんな時代から解放させ新たなキューバを作り出したのが、チェ・ゲバラである。もちろんフィデル・カストロもね。
 
 
 
こうしてキューバに訪れた「平等」
つまるところ社会主義国家の始まりでもあります。
 
 
チェ・ゲバラが追い求めた理想。その形が社会主義という政治体制になるわけですが、
ほとんどの国が資本主義である中、これまで徹底して社会主義を貫いてきたキューバ。
 
それが今変わりつつあります。
 
社会主義に資本主義が流れこみつつあるキューバ。
それを国民はどう思っているのか。
 
その目線で次はキューバについて語ってみようと思う。
 
 

 

 
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