叶わぬ平和への願い。アラファト議長のお墓と難民キャンプを訪問

2017年4月16日 ラマッラ
 
パレスチナ問題って何?って人はこちら
 
 
 
少しずつイスラエルとパレスチナの現状を肌で感じつつ、もう少しパレスチナのことを知りたいと思い、ラマッラという街にも行ってきました。
(というかエルサレムの宿が高騰してて泊まれなかった)
 

聖地エルサレムから少し北上した場所に位置する「ラマッラ」
 
同じくパレスチナ自治区の街で、パレスチナ人は首都をエルサレムと主張しますが、
実際は国連が管理しているという名目でイスラエルが管理しています。
 
なので、行政機関のあるここラマッラが事実上の首都ということのようです。
 
 
エルサレムに近いという理由でここを訪れましたが、故アラファト議長のお墓があるということで、訪れることにしました。
 

アラファト議長と聞くと名前くらいは記憶にある人も多いのではないでしょうか。
 
平行線を辿ったまま解決の糸口が見つからないパレスチナ問題。
それでもユダヤ人アラブ人両者の和平が大きく前進したのが、1993年のオスロ合意でした。(ノルウェーの首都オスロで秘密交渉が行われ、合意案がまとまった)
 
当時イスラエルが占領していたガザ地区とヨルダン川西岸地区でパレスチナ人自身による自治を始めようという案でした。
 
 
アメリカのクリントン大統領を仲介役・証人とし、パレスチナの「アラファト議長」とイスラエルの「ラビン首相」が握手を交わす場面が有名
 

 
翌年、パレスチナ自治政府が設立され、アラファト議長には、この政治決断に対してノーベル平和賞が贈られ、パレスチナの初代大統領にもなっています。
 
パレスチナ問題の解決につながる立役者、つまりパレスチナの英雄的存在なわけですよね。
 
 
しかし!
これでパレスチナ問題は解決の糸口を見つけられると思ったのも束の間、1995年、ラビン首相はユダヤ人の過激派によって暗殺されてしまいます。
「ユダヤ人の土地をパレスチナ人に分け与えるなんて許せない」ということでした。
 
その後、アラファト議長は2004年に亡くなり、イスラエル首相はネタニヤフという対パレスチナ強硬派が就いたことで、和平への道は閉ざされたままとなってしまいます。
 
 
 
 
この和平合意が続いていれば今とは状況が違ったんだろうに、、、、
 
******
 
 

 
 
アラファト議長のお墓の横には、ミュージアムもありました。
 
パレスチナ問題が生まれたイスラエル建国当時から現代に至る一連の出来事に関する写真や映像が展示されていました。
 

印象に残るのはやはり中東戦争時の写真。
 
1,2時間程度で見きれる情報量ではないけどミュージアムはちょっと苦手で、バババッと見て退散。
 
 
 
 
この後は、ここから少し北に移動し、ジャラゾン(Jalazon Camp)という難民キャンプを訪れます。
 
難民キャンプと言っても、テントやプレハブのような建物に人が無造作に寝転がっているような場所ではなくて、普通の小さな町でした。
事前にネットで見た時には、イメージと全然違っててびっくり。
 

 
 
アラファト議長を称える石碑?みたいなものもありました。
 

 
 
 
 
ラマッラから1番近くにある難民キャンプということで訪れましたが、パレスチナには他にもたくさんの難民キャンプが存在するようです。
今回のパレスチナ滞在はこれで終わりなので、他にも興味ある街があったしまたいつか来ようと思います。
 
ガザ地区ももちろん興味がありましたが、今回訪れたヨルダン川西岸地区と違って特別な許可を取らないと入れないのと、そもそも危なすぎるので。
ただ興味本位で宿予約サイトBooking.comで検索してみたらヒットしたのは衝撃でした。
 
 
 
 
パレスチナと聞くと、爆弾が飛んでくるみたいなイメージを持っている人もいるかもしれませんが、それはガザ地区のほう。
 
観光客が訪れるのはヨルダン川西岸地区のほうで、そちらは安全です。(夜遅くに一人で出歩いていいという意味ではなく)
 
 
ぜひイスラエルに来た際は訪れることを強くお勧めします。
 
 
 
 
 
そんなわけでラマッラからいよいよエルサレムに移動です。
 
ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の聖地である『エルサレム』
とても楽しみにしていた場所。
 
 
そんなわけで次回は宗教のお話。
 
 
 

 
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伊藤 祐矢

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伊藤 祐矢

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