フィリピン・セブ島でのインターン生活もそろそろ終盤。

びっくりするぐらい月日が経つのが早くて、半年ちょっとのクロスロードでの滞在もあと1週間ちょっとで終わりです。

あっという間だったなぁ、、と思うのと同時に次の生活の事を色々考えながら過ごす日々で。(もちろん残りの期間を後悔ないように過ごしたい、過ごさなきゃと感じつつ)

いろんな人の話を聞いたり、相談に乗ってもらったり、本読んだり、沈みがちな英語にも時間を割いて、今という時間に必死になって過ごしてると、本当にあっという間に時間が過ぎ去っていく。

誰もがそうだと思うけど、そんな生活を続けているとやっぱり過去っていうものは、どんどんどんどん記憶の奥底に沈んでいってしまうもので、それが昔であればあるほど。

でも、どんなに月日が経ったとしても、どんなに遠い場所に行ってしまっていても、忘れてはいけない日ってあるんだよなーって。

 

 

3月11日。

今日の今日まですっかり頭から離れて。日本にいないしテレビとか見ないからか余計情報もなくて。(最近はニュースもあまり見てない、、、やば。)

少し反省しながら、朝から過ごしてたカフェから部屋に戻ってきて、ほんの少しの黙祷をしました。

 

 

 

7年も前の話だけれど、実際にこの日を身にしみて感じたのは(それでも間接的にだけれど)、仕事で東北配属になり、福島・仙台で働いてた時の3〜5年前。

そこでできた友達や一緒の職場で働く仲間・同僚、街で出会った人たち、当時の生々しい話を多くの人から聞いた。

その時の印象は、震災が起きた当時の事よりやはり印象的で、僕はこの日が来ると、そういった友人たちの事を思い出す。

もちろんそれなりに関わった人たちで、友人であるし、今でも元気だとは思うし、変に感傷的にならなくていいし、特になってるってわけじゃないんだけど、それなりに気持ちは出てくる。

「元気してるかなー、、」

一緒に仕事もしたし、一緒にお酒も飲んだし、一緒に笑いあったし。まあ、そんな連絡を取り合うほど親密じゃないんだけれども笑。こういう人生送ってるせいもあるかな。

 

 

月日は経っても、今年もフィリピンという東北はおろか日本から離れた場所に身を置いているけど、特別な日っていうのは変わらないと思うし、当時を経験した人たちからしたら、言わずもがな忘れられない日であるから、

こう、僕は僕なりにあの日を大事にすべきなんだと思う。たったこの日だけだとしても。

 

 

1年前は僕はまだ世界一周の途中で、ジョージアという国にいました。

そういえばー、、、と思い出して、当時の記事を漁る。

ジョージア?どこそれ。遠い異国の地から黙祷を捧ぐ3.11

2017年3月18日

遠い遠い離れた国の、日本とは全く関係人たちも、あの日の事を気にかけてくれていて、

目頭が熱くなったような記憶もあったなー、と。

日本でどれくらいの報道がされていたかはわからないけど、きっと随分減っていて、6年経った今、僕達の記憶も風化していってしまっていると思います。
 
人間は良いことだろうと悪いことだろうと忘れていってしまう生き物です。
そういうもんだと僕は思っていますが、こうやって毎年何かのタイミングで被災された方たちのことを思うこと。その気持ちをこういうタイミングでもいいから思い出し持ち続けるのが大事なのでは。
 
 
「フクシマに住んでいた人たちは今も故郷に戻れず大変なんでしょ?悲しいよね。」
「君の故郷は大丈夫?」
 
こうして海外にいながらも、日本や日本人のことを気にかけてくれる外国の方が居るということ。そこに大きな意味があると思うし、被災された方たちにも知ってもらいたいなぁ。
 
 
なんてことを思った夜でした。

 

めっちゃ雑な記事だけど、ほんの少し言葉を書いただけだけど、

「なんか言葉にしなきゃ。」

 

と思ったので。人は忘れる生き物だから。

 

なんて事を思った夜でした。

 

もうかなり1日の終わりだけれど、Yahooで3.11と検索することで、応援になるようなので、ぜひ検索して見て下さい。

https://m.yahoo.co.jp

 

伊藤 祐矢

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