【エクアドル地震】カノアという街までボランティアしに行ったら、まさかサーファーデビューしちゃった話。Vol.3


前回の続き。(前回の記事はこちら。)
 
 
 
ボランティア生活2日目。
 
朝起きると、体がものすごーーーーくだるい。
なぜか筋肉痛という痛みではなかったが、だるくてベットから起き上がるのがだるい。
 
ジュンさん曰く、このだるさがサーフィンの醍醐味でもあるらしい。
 
 
 
 
朝食を頂き、今日もさっそくボランティアに取り掛かる。
昨日は砂利だったが、今回は砂山を移動していく。砂のほうがやりやすくて楽。
 
(写真はなし)
 
途中、ジュンさんも僕たちの作業に加わりつつ、震災の話も聞きつつ作業を進めていった。
 
 
 
 
 
ジュンさんから聞く地震の話は全てが生々しく、地震の怖さを物語っていた。
 
 
このエクアドルでの地震は、震源地はムイスネという場所で、マグニチュードは7.8。震度に換算すると6弱相当の揺れになるとのこと。
エクアドル全体での被害は死者654人、負傷者1万6600人、行方不明58人。
人的被害、数字だけでみたら、日本の熊本地震の約10倍の被害。(Wikipedia参照)
 
だから10倍やばかった地震というわけではないけど、それほどの被害があるということは今もそれだけ辛い生活を送っている人がいるということ。
 
カノアは震源地から27㎞離れた場所にあり、この場所だけで死者100人にも及ぶらしい。
 
 
 
 
 
 
地震が起きた瞬間の揺れの凄まじさ
津波が来るんじゃないかという恐れ
一歩間違えてれば、30秒遅れてたら、建物につぶされて死んでた
避難の最中に建物がどんどんつぶれ、倒れていく
家族の命
震災後日の生活
余震が何度も続き
そんな中つぶれかけの建物の中に荷物を取りに行く
余震が怖くてつぶれかけた元の家には戻れない
 
それから避難生活の日々が続き、政府管理の避難場所での生活がなじめず自分で仮設住宅を作り始めた。
 
 
ジュンさんは震災以前は、サーフボードレンタルショップの他に、インターネットカフェ、宿の営業も行っていて、その建物の防犯カメラが一台だけ残っていて、地震の様子の録画が残っていた。
これがその動画。→地震発生時の動画(ジュンさんのFacebookにアップされている動画)
 
 
滞在最終日には、その動画の建物の中にも連れて行ってもらえました。
(ジュンさんが経営していたサーフショップとインターネットカフェの店舗)

地震後から片付けをする間もなく、地震直後の様子が伝わってくる。。
 
 
この建物は3階立てですが、今ではこの町で一番高いまともな建物として残っているようです。
カノアは小さい町ながらも、もともとリゾート地として栄えていて、海沿いのオーシャンビュ-のある4階、5階立てのホテルが立ち並んでいたそうですが、
しかし、それらのホテルは全てつぶれ、その他の低めも建物も構造的に古い・弱いものはすべてつぶれて無くなっています。 
 
屋上からの眺め。
以前はホテルが立ち並んでいて海は一切見えなかったが、今はなんとか見ることができるようになっている。
 
 
 
町の様子。
奥の壁に建物の焼け跡が。
 
もともとここにもホテルが建っていた。
 
一階部分だけ残っている。
 

倒壊は免れたが、一階部分の柱がやられていて、修復はほぼ不可能。今にも倒れそう。
 

 
 
最初に何にもなさそうな町だなあと思ったのは、ホントに建物が無くなってて、それは地震のせいですべて撤去されていたからだと分かった。
 
 
 
 
 
 
 
これが今のエクアドルの現状。
首都キトはほとんど震災の影響は受けていないが、震源地に近い沿岸部の町はボロボロ。
 
倒壊した建物のガレキの撤去、倒れそうな建物の解体と撤去。
それがやっと終わったという程度。
復興もくそもない。今でも先の見えないまま、仮設住宅や壊れかけの家で生活を余儀なくされている人たちがたくさん。
 
 
 
 
でも、
それでもここに住んでいる人たちは前向きに生活しているようだった。
 
日本だと自粛だとかバカなこと言う人たちがいるけど、辛い体験をした人たちが少しでも元気に生活できるように応援することが大切でしょ。
 
一緒に飯を食い、一緒に話をし、お酒を飲んで、一緒に笑い合う。
 
それだけで十分ボランティアになるんじゃないかなぁって、
ここに来て、ジュンさん家族たちと過ごして、なんとなくそう思った。
 
 
 
実際、ボランティアとかいう言葉を使っていいのかと思うほど、大したことできずにいたけど、
むしろ寝る場所とかご飯とか提供してもらって、こっちがお世話になったくらい。ってかサーフィンしてるだけだし(汗)
 
それでもジュンさんは、「ありがとう」って言ってくれた。
そしてもちろん僕らもジュンさんたちに感謝してる。
 
そういう人と人との関わりが、「ボランティア」なのかなーって。
 
 
まあこんなこと言ったら、本当に自分の生活を削ってでも本気でボランティア活動に取り組んでる人たちに怒られちゃうかもしれないけど。
 
 
 
 
僕は熊本震災のボランティアには行けていない。
その時韓国にいたけど、自由に動ける身でありながらも、すでに持ってたチケット十数万円分はさすがに捨てれなかった。
だから代わりに、なんてなるはずもないけど、タイミングの合ったエクアドルで、同じ震災復興という何かしらの行動がしたかった。
そして別にそこまで強い想いもなかったし、ただちょっとした縁があってタイミングよかったから行っただけ。
 
 
 
日本で仕事してたら、遠い熊本や、ましてや海外なんて簡単には行けない。
別に無理して行く必要もないし、行ける人は行って、行けない人は仕方がない。自分の人生で精一杯なんだから。
 
 
でも、何日も前だろうと、何ヵ月も何年も前の事だろうと、遠い過ぎた話だとしても、
そういう事があったよ、そういう現実が今起きてて、ここにそのリアルがあるっていうのは忘れちゃいけないと思う。
 
そして知ってほしいと思う。
 
 
旅ブログにこんなこと書くのもそんな理由。
 
僕自身が単に知りたいって思ったから行った。で、それを知ったから伝える。
伝えれる人が伝える。
ただそれだけ。
 
それが何かに繋がればもっといいんだけどね。
 
 
 
 
僕は今そういう旅をしてる。
これからもそういう人生を送って生きたい。
 
 
 
 
(次回はおまけでサーフィンの話w)
 
 

 

伊藤 祐矢

Share
Published by
伊藤 祐矢

This website uses cookies.