4月いっぱいで仕事納めはしましたが、今日まで有給消化をしていたので、正式な退職日は今日でした。
6月17日をもって(株)大林組を正式に退職。
4年働いてみて、どうでしたか?
それが一言で言うしかないんだとしたら、
「よかった」
と言うかなーやっぱり。
まぁ、当然その一言で済む話ではないし、いやなこともたくさんあったので、そんな話をすこしだけ。
どんな会社だったか。どんなことしてたか。
勤務時間はまあ、時期によって極端で、
竣工後とか着工前の準備期間とかであれば、8時のラジオ体操から始まって18:30とかには帰っちゃう時期もあったけど、
朝7時の朝礼から始まって(実際その朝礼前の段取りとしてその30分くらい前には職場に到着)、夜の11時とか12時とか日付変わって1時とかまで、へたしたら2時とか3時までやってそのまま泊まる時も。もちろん予定がある時は5時過ぎに帰らしてもらうけど。そのへんの調整は自分次第。
なにをそんなにすることがあるの?って感じだろうけど、
おれらの役目は調整と段取り。
日々、職人さんと打ち合わせして調整をして、数ある工事毎の段取りと必要な資機材の注文、配筋のチェックと写真を撮ったり、コンクリートの打設日は日中つきっきりで打設に立ち会ったり、打設翌日は墨出し屋に指示して、時には自ら墨出しして、毎日クレーンの手配と調整をして、昼の打ち合わせで全体の調整を確認して、安全書類やら日誌やらを作成して、写真とデータの整理して。図面を職人さんに渡せばだいたいやってくれるけど、図面だけじゃよく分からないって聞かれれば図面とにらめっこしたり、現場を見に行ったり、分からなければ先輩上司に確認して、もう一回職人さんと打ち合わせして。月末は請求書の処理でお金の話をして、月末の報告書を作って、月一の飲み会にも参加して、雪が降ればみんなで雪かきして、怪我した職人さんがいれば対応して、熱中症対策を呼びかけて、現場が汚くなればみんなで清掃して、また次の日朝礼して。・・・
もうやることだらけでしたわ。
やることだらけで、
完璧に成し遂げようとしたら時間はいくらあっても足りないので、
ほどよく手を抜く、先輩上司の要求はさらっと受け流す。
守る所はきちっとやらないといけないけどね。
適当なことやって品質と安全を損なうことがあればめっちゃ怒られるし、逆に適当な仕事している職人さんがいれば怒んなきゃいけないし
真面目にきちっとやる時とつぶれない程度にやる時と使い分ける。
祝日土曜は普通に仕事で、時には日曜も出社。休みが欲しければその分他の日を頑張って、段取りよく効率よく業務をこなし、時には先輩に仕事を預ける。
そんなことを徐々にだけど、4年続けてたらいろいろと身に付いた気がするなー。
働くことの意味、社会の理不尽さも知り、人との対応の仕方も。忍耐力も度胸も学生時代より身についたし、
管理能力はまだまだ未熟で、段取りするのも未だに苦手だけど。
まあ、根が適当な人間なので、、、
とりあえず、どこの業界でもやっていけそうな気がするよ。大した根拠になってないけど。
そして、やりがいはあったかな。
なにもなかった所に建物ができちゃうんだから、完成した時はなかなかの達成感!
数十年と残るものだし、地図にも残る。
苦労が大きかったほど、おれがこれを作ったんだなーって。
研修時代を合わせて3物件しか携わってないけど、それらは一生もんです。
それにしてもいろんな人がいたと思う!
建築業界、ゼネコンの中じゃそれなりに大手だったから、優秀な人もいて。
短時間でなんでここまでできるの?!って人もいれば、逆に苦労してるなーって人も。
毎日夜遅くまで頑張る人もいれば、適当に終わらして早く帰る人。
口先でうまいこと人を動かす人もいれば、体を動かして現場を管理していく人。
すごいしゃべる人や、めちゃめちゃ怒鳴る人。すごく丁寧に教えてくれる人や丸投げする人、職人さんと異様に仲がいい人、お酒をすごい飲む人、家庭大丈夫なんかなー?って思ってしまうほど仕事しかしていない人、大雑把でも要点を抑えながら仕事してる人やいちいち細かい人。
もう一緒に仕事するのは絶対いやって思う人もいたけど、また一緒に仕事したいなーって思う人もたくさんいて。職人さんもいい人ばっかりだった!
すごい学ばせてもらえた4年間だったと思う。そして楽しかった。
特に同期は最高だったなー。
東京組の同期と過ごした時間は最高だった!おれは辞めてしまったけど、一生続く関係でいたいなーって思う。
勝手だけど(笑
そんな意味も込めて日本の旅は同期巡りをし、そしてお世話になってます(笑
みんな立派になっていくんだろうなぁー!
今後建築業界に戻るつもりはないけど、また機会があれば一緒にわいわいしたいなー!
そんな感じで今日から正式にニートだー!
おつかれっしたー!!!

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